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zoom RSS 綿神社(名古屋市北区)

<<   作成日時 : 2006/11/15 07:47   >>

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神社名:綿神社(わたじんじゃ)
鎮座地:愛知県名古屋市北区元志賀町2-53-1Mapion
祭神:玉依比売命、神功皇后、応神天皇
創建:不明
社格:式内社、旧郷社、六級社
例祭:10月10日(体育の日?)

伊奴神社の東南東、国道19号線付近にある式内社。一の鳥居のあたりはかろうじで参道を残したという感じ。くぐって二の鳥居、三の鳥居と行くと意外と広い。
地図上で見ると参道がやや斜めになっていて、本殿のちょうど真南あたりには霊源寺がある。この距離感はおそらく神宮寺。

綿とは綿花のことではなく、海神(わだつみ)の‘わた’。祭神の玉依比売命は海神綿津見神の娘で、神武天皇の母。町名の“志賀”は、水辺の里という意味があるらしい。元志賀町の綿(神社は、九州筑前の式内社志賀海神社に通じる。
古代にはこのあたりまで海があり、筑紫の弥生人の安曇族(阿曇族・アヅミ族)がここに移住し、同じ祖先を祀る神社を建てたといわれる。稲作を伝えたといわれる弥生人の里と、稲を献上したと伝わる伊奴神社がとても近いのは偶然じゃないわけで。

そういえば尾張氏も海人族と呼ばれていたっけ。

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本殿。この日はお祭りの前日だったようで、普段は人気のない社務所に氏子さんたちが集まっていた。御朱印は無いとのことなので、由緒と御守りをいただく。いわゆるよくある御守りが300円、錦守(肌守)は200円。ちょっと良心価格すぎはしないかと思いつつ錦守をひとつ、財布に収める。
社殿は昭和20年5月14日の空襲により御拝殿神饌所を残して焼失している。御神体のみは難を免れ、神戸製鋼所の寄進による仮本殿に御遷座されたそうだ。

かつて社名を「綿八幡」とも称していたそうで、祭神も志賀海神社と同じ神功皇后と応神天皇を祀っている。創建時からなのか、中世に同じように合祀されたのかよくわからない。
戦国時代には今の鎮座地に織田家家老平手政信が住んでいて、天文21年(1552年)には荒廃していた社殿を修造再建し、兜の前立、自作の木製狛犬、神供田527坪を奉納したという。また織田信長も戦勝記念に槍先を奉納し、社宝として現存しているそうだ。
江戸時代には尾張徳川家から、名古屋城北鎮護神として崇敬され、代々参拝したという。

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狛犬。どこかで見た気がする。

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境内末社御獄神社の石標(石碑?)。各地にある御獄社については御獄教というところが管轄しているそうで、築地神社のように神社によっては末社として数えないところや、境内の一角を分けて祀られているところもある。

【末社】
多賀神社、稲荷社、白山社、浅間社、四十八祖社、津島神社、白龍社、秋葉社、熊野社、御獄神社



この日の帰宅後、頂いた錦守が無くなっていることに気づくorz
綿神社でお参りしたりしていた時か、帰りに寄ったお店で落としたと思われ。実は財布には氷上姉子神社の錦守も入っていたので、出ていってしまったのかなぁ…とか思ったり。地味にへこむ(´・ω・`)

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