あらいのじかん〜神社と朱印、ときどき猫と自転車〜

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zoom RSS 諏訪大社上社前宮(長野県茅野市)

<<   作成日時 : 2008/03/27 23:31   >>

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去年、山梨や長野をふらふらした際、諏訪大社上社前宮へお参りしました。
今は上社本宮が中心ですが、前宮は諏訪明神が初めて鎮座した場所とも言われています。
大河ドラマ風林火山の放送中だったので、風林火山の幟がちらほら。

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一の鳥居をくぐって二の鳥居。道の真中に階段が作られていないのは何かの意図があってのものかな?

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ぬこー。二の鳥居の左の道路を歩いてた。

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たぶん三の鳥居。社務所はこの右手にあります。本殿まで遠そうなので先に御朱印をお願いしました。

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諏訪大社上社前宮神殿跡。この一帯が跡らしい。
かつて諏訪大神の神裔である諏方氏は諏訪大社の大祝(おおほうり)を務め、大祝は御神体と同一視されていた。よって諏方氏はこの神殿を中心に大祝として祭祀を執り行うとともに、武家として統治・政治も行われた。古代の祭政一致が武士の時代にも続いていた少ない例。
熱田神宮の宮司家千秋氏も武士団化していたものの、尾張国内の一勢力どまりでした。諏訪氏が武田氏と争っていた頃、千秋氏は織田家内の一勢力として転戦、のち信長に宮司職に専念するよう命じられ武士ではなくなりました。

鎌倉時代には幕府御家人として幕府内でも重要な地位にあったらしい。のちに中先代の乱に加担するなどしている。
室町時代になると南信濃を支配するも、同族の高遠氏との内訌があり、そこから甲斐武田氏に付け入られ、降伏。武田氏とともに諏方氏も一時滅亡するも、傍流が徳川氏に仕えて再興。大祝職も再び一族が務め幕末まで続いたようだ。

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これは……何だっけ。内御玉殿か十間廊。祭祀が執り行われる場所。

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神殿跡から結構上った先に本殿。周囲には清流が流れていました。

神社名:諏訪大社上社前宮
鎮座地:長野県茅野市宮川2030
御祭神:建御名方神 八坂刀売神
社格:式内社名神大、官幣大社、別表神社、信濃国一之宮
神紋:梶
例祭:4月15日

超有名どころなので由緒は省略。
公式サイト参照のこと。

尾張には諏訪社・諏訪神社はあまり無いのだけれど、名古屋市緑区に2社、となりの豊明市に1社あるなど、名古屋南端〜知多〜三河南部にいくつか見られる。このあたりは戦国期に今川氏の勢力圏となった地域なので、軍神として祭られたのかもしれない。豊明の沓掛諏訪社は沓掛城守護神として勧請されました。
ただ、緑区の諏訪社周辺は塩の産地で、神社前の古道を辿っていくと飯田街道から諏訪へと繋がるため、信濃の人々と交流または居住があったのかもしれない。

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諏訪といえば御柱。こちらにも本殿周囲に四本立てられています。柱の裏は引きずった跡なのかゴワゴワしてました。

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諏訪大社上社前宮御朱印。とても丁寧に書いて頂きました。

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上社本宮ならびに下社春宮秋宮は一昨年お参りしましたが、御朱印もデジカメも無かった頃につき、画像も御朱印もありません!
名古屋からは一応18切符日帰り圏内なので、またいつかお参りしてこようかと。諏訪の八剱神社もとても気になるし。

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