あらいのじかん〜神社と朱印、ときどき猫と自転車〜

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zoom RSS なぜ神社へ参るのか

<<   作成日時 : 2008/07/18 22:59   >>

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私はなぜ神社へ行くのか、考えてみた。

とくに意味は無い。ほんとに無い。
自分が信心深いと思うことは無いし、お参りして御利益があったと思ったことも無い。
よくお参りするようになる前から、悪運の強さには自信があったし。
(そのために、自分が何者なのかがわからないのだけど)

神が存在するとも、あまり思ってない。
神の姿を見たわけでもないし、神の声を聞いたこともない。
「神の存在を感じる」とか言う人がいるけれど、神の存在の感じがどんななのかわからない。

心当たりがあるとすれば、
「もしも神がそこにいたのなら、どうしよう」と思ったことか。
もし神がそこに居続けて、人々を守り続けているとしたら。
それならば、挨拶もしないで通り過ぎるのは失礼ではないか。
といって寄進するほどお世話になった気も無いし、せめて挨拶くらいはしていこう。
それが、お参り。

ん・・・・なんか町の顔役扱いですね。
しかし実際そんな感じで、初めて行く町ではきちんとお参りしますけど、二度目以降は簡単に、入口で会釈が多いです。

御朱印を頂く理由。
その地域を守っている(かもしれない)神様に挨拶した証として、かな。
いわゆる通行許可証や道中手形感覚でしょう。
頂ければそれは許可を得たようなもの、していない神社は発行していないというだけで。
御朱印の有無は気になりますが、お参りする動機とは関係ありません。

頂くのは基本的に、初めてお参りした神社。
同じところで何度もお願いすることばありません。
ただし、例外は地元の神社。
毎日のようにその土地へ立ち入るわけですから、そんな地域は年ごとに頂いておこうかなと。

毎年なんとなくお参りしていた小さな神社に、たまたま管理される方が来ていて、念のため尋ねたら頂けた、なんてこともたまに。

まぁそんな感じなので、気が向いたときは頑張りますけど、基本的に頑張りません。
頑張ってるように見えたら、気のせいですよ、と。

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
>とくに意味は無い。ほんとに無い。
>自分が信心深いと思うことは無いし、お参りして御利益があったと思ったことも無い。

>神が存在するとも、あまり思ってない。
>神の姿を見たわけでもないし、神の声を聞いたこともない。
>「神の存在を感じる」とか言う人がいるけれど、神の存在の感じがどんななのかわからない。

同感です。
三島
2008/07/20 03:29
ですが、私も神社参拝は好きです。
不思議ですね。
三島
2008/07/20 03:31
やっぱりマイブームが古代史なのが大きいなぁ。
神社が在る理由にはそれなりに歴史があるわけで、それを体感(なんとなく)できるのがいいんじゃないかな?
例えば橿原神宮と大神神社じゃあ、背負ってきた性質とか使命、歴史は全然違うけどそれを現実に目で見ることができるがいいのではないかと思う。

p.s.雄略天皇最高。その専制っぷりが。
ブサイク王
2008/07/22 02:42
>三島さん
なんででしょうね。
昔の修験者のように籠もったりすれば聞こえるのかなぁと思ったり。

>ブサイク王さま
歴史が残ったのは、神社を破却する文化が無いのが大きいかなと。
地域的没落や敗者側で衰退しても、大抵は流行神で上書き、遷座、合祀など何らかの形で残されますし。
(あるとしたら徳川幕府による豊国社破却かな。これも御神体は新日吉神宮に遷され、明治に再興しました)
城や寺院と共に、歴史を目の当たりにできるのは大事ですよね。おとなりの国は破壊する文化があるので(以下略)
P.S.私は後白河法皇のほうが・・・
新井
2008/07/22 23:45

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