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zoom RSS 深川神社(愛知県瀬戸市)

<<   作成日時 : 2009/07/18 08:58   >>

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名古屋市から名鉄瀬戸線で終点尾張瀬戸駅まで乗って、さらにちょと歩いた先に、瀬戸市の式内社深川神社が鎮座しています。
門前町は普段もそこそこ賑わっています。
瀬戸名物?の瀬戸焼きそばなどがおすすめですよ。

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神社入口。
嫌な予感。

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ああやっぱり・・・すごい人出だ・・・人ごみは苦手なのですよ。

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ただ並ぶのもなんなので色々観察。
瀬戸物の町なだけあって、拝殿正面の鬼瓦も陶製です。

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神社:深川神社
鎮座地:愛知県瀬戸市深川町11番地
御祭神:天之忍穂耳尊、天之菩卑能命、天津日子根命、活津日子根命、能野久須毘命、多紀理毘売命、多岐都毘売命、市寸嶋毘売命
創建:宝亀2年(771)
神紋:五七桐
社格:式内社、旧県社、
例大祭:10月第3日曜日

【由緒】
神社の創建と歴史背景
深川神社境内には、石室の中心が約4メートル四方の横穴式円墳がある。この古墳からの発掘物は現存していないが、石積みの方法から6世紀頃のものと推定されている。古墳の存在は、この場所が辺り一帯を治める長をお祀りしていた「聖域」であったことを示している。また、この地区は良質な陶土に恵まれていることから、土器等を作って生活する集団の中心的な場所であったと言われている。

奈良時代、ここ尾張は、時の政権大和朝廷との繋がりを保つため、宝亀2年(771)に朝廷・藤原氏縁の天津神(あまつかみ=天に住む神々)をこの地に勧請(神仏を分霊して祭ること)、創建した。これが、延喜式(えんぎしき=延喜5年、藤原時平ほか11名の委員によって編纂された古代法典)に記されている深川天神の始まりである。このため、この地にあった国津神(くにつかみ=地に住む神々)は追いやられ、天津神が崇められるようになった。
深川神社由緒より抜粋転載】

政治的な理由により国津神を祀る処へ天津神を上書き勧請した、とはっきり書かれた神社も珍しい。
同じ式内社でも国津神のまま残る川原神社と対照的でもあります。
「奈良時代に朝廷・藤原氏縁の天津神(あまつかみ)をこの地に勧請」ともあるので、同じ猿投古窯群の傍示本春日社、さらに三州瓦の高浜春日神社とも共通している気がします。
ここも猿投古窯群のひとつとして栄えた地域ですが、時代と共に衰退。しかし鎌倉時代、唐へ留学し焼物造りを修学研究した加藤四郎左衛門景正がこの地に定住したことで焼物が発展し、瀬戸物として今に伝わることとなりました。
神社には陶祖藤四郎が奉納したと伝わる狛犬があり、国宝に指定されています。

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深川神社後朱印。多忙につきマジックでとのこと。
瀬戸市内では深川神社が唯一、専任宮司さんが居られる神社ではないかと。
以前は東寺山町の八王子神社にも宮司さんが居られたそうですが、ご高齢でお亡くなりになった後は兼務社となってしまいました。

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摂社恵比寿社と神明社だったかな。ほか摂社白山社と八幡社があります。

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摂社奥宮稲荷社。

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そして本殿参道とは別に鳥居もある、陶彦社。創建は文政7年。
瀬戸陶業の始祖と呼ばれる、加藤四郎左衛門景正が祀られています。
こことは別に、加藤景正の窯址といわれる場所に、窯神神社として祀られています。

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