三谷八剱神社(愛知県蒲郡市)
八剱神社に来たぞー!はるばる蒲郡の三谷まで。
この日の目的は八百富神社祭礼と、この八剱神社なわけで。
国道23号に面した参道(ってかほぼ駐車場)を少々歩いて、本殿へ。
本殿前。なんか人気が。ってかものすごく綺麗になってる。そういえばひねもすのたり宮さんとこで改修工事中なの見たけど、最近終わったのね。
記念撮影をしていました。ちょうど来週の今日が三谷祭りで、その一周前の今日は『八剱神社社殿修復完成記念奉納行事』が行われていました。
社殿前に並んでいるのは『三谷中御殿舞クラブ』の方々らしい。
撮影が終わったところで参拝。中の扁額も金ぴかや。
……はっ! 奥のあれは!!
大明神号!!
神仏習合時代の尊称『八剱大明神』が今も現役なのは個人的に高ポイント(笑
神社名:八剱神社(やつるぎじんじゃ)
御祭神:日本武尊
鎮座地:愛知県蒲郡市三谷町七舗139 Googleマップ
創建:寛治三年(1089年)
社格:旧郷社
神紋:五七桐笹
例祭:10月第4日曜日
<社頭由緒>
御由緒
一 祭神
日本武尊
一 由緒
當八劔神社ハ國内神名帳に從五位上八劔神社坐寶飯郡トアル古社ニシテ尾張國愛智郡熱田ノ宮ニ鎮リマセル神靈ヲ勧請移座セル深キ由緒ヲ有ス
抑々當社は古來三谷郷産土ノ神トシテ郷黨尊崇ノ中心タルノミナラス又武神トシテ世々ノ武將ヲ始メ一般衆庶(※旧字体)ノ崇敬を蒐ム
建久元年安達藤九郎盛長ハ源賴朝ノ命ヲ受ケ奉行トナリテ社殿ノ造営ニ任シ徳川家康ハ天文十六年駿河ヘノ途次及ヒ天正十年濱松ヘノ歸途特ニ當社ニ參拜シテ武運長久ノ祈願ヲ籠メタリト傳フ
慶長五年領主ヨリ社領ノ寄進アリ
爾後各領主亦之ニ倣ヒ以テ明治維新ニ及ヘリ
三河二葉松ニ三谷村八劔大明神社領六石六斗四升六合トアルハ是ナリ
明治十七年八月十二日社格ヲ附セラレテ郷社ニ列セラル
往昔ハ廣表四町四面ノ神域ヲ有セシカ戦國ノ亂世ニ及ヒ縮狹セラレテ今ハ森ト称(※旧字体)スル地名ニ纔ニ其ノ名殘ヲ留ムルニ過キス然共尚千八百有餘坪ノ境内ニハ老松鬱蒼トシテ社殿ヲ圍繞シ古ヲ偲フニ足ルモノアリ
境内神社トシテ源太夫神社諏訪神社稲荷神社御鍬神社秋葉神社尺地神社水神社金比羅神社ノ八社ヲ存ス
一 例祭
陰暦九月九日俗ニ三谷祭ト称(※旧字体)ス
<ひねもすのたり宮さんより無断転載>
社頭由緒も記録したけど、めんどくさいので。
寛治三年(1089年)に創建したものの一時期荒廃し、源頼朝の命を受けた安藤籐九郎盛長が奉行となって、建久元年(1190年)に再建したという。荒廃するのはやっ!戦でもあったの?
社殿右側にある源太夫社、御祭神は乎止世命。
源太夫(げんだゆう)社とは熱田神宮上知我麻神社の俗称で、御祭神の乎止與命(おどよのみこと)は日本武尊の妻、宮簀媛命(みやずひめのみこと)の父で尾張国造。
ちなみに乎止與命の妻、真敷刀俾命(ましきとべのみこと)は下知我麻神社の御祭神で、俗称は紀太夫社。
なんとなく、なんとなく、根拠は無いのだけど。八剱神社こと日本武尊が祭られる前に源太夫社が鎮座していた気がする。
A.尾張氏の勢力圏に入り、源太夫社=乎止與命が祭られる
B.大和の集権が進み、尾張氏の威勢が衰え、神社の衰微が始まる
C.熱田神宮側で日本武尊の存在価値が高まり、尾張氏を祭る各神社へ勧請(上書き)される(寛治三年)
D.武士の時代となり、境内の荒廃が進む
E.尾張生まれ、熱田神宮大宮司の孫、源頼朝が鎌倉幕府を開き、熱田神宮関連社を再建する
こんな流れ?由緒の消えている境内社はこのケースがままあるので。
右から手水舎、靖国神社遙拝所、水神社、長寿の亀。
あ、諏訪神社天満社合殿の画像はどこだっけ…
神馬。ウマー
右の赤い鳥居は稲荷社:宇賀之御魂大神。左は右から秋葉社:火之迦具槌大神、御鍬社:天照大御神、尺地社:猿田彦大神。
猿田彦大神のところに神砂が。1個だけだったので撮影だけして戻しておいた。
御朱印はやってないとのこと。是非頂きたかったなぁ……三谷祭りの神社でもあるし。
この日の目的は八百富神社祭礼と、この八剱神社なわけで。
国道23号に面した参道(ってかほぼ駐車場)を少々歩いて、本殿へ。
本殿前。なんか人気が。ってかものすごく綺麗になってる。そういえばひねもすのたり宮さんとこで改修工事中なの見たけど、最近終わったのね。
記念撮影をしていました。ちょうど来週の今日が三谷祭りで、その一周前の今日は『八剱神社社殿修復完成記念奉納行事』が行われていました。
社殿前に並んでいるのは『三谷中御殿舞クラブ』の方々らしい。
撮影が終わったところで参拝。中の扁額も金ぴかや。
……はっ! 奥のあれは!!
大明神号!!
神仏習合時代の尊称『八剱大明神』が今も現役なのは個人的に高ポイント(笑
神社名:八剱神社(やつるぎじんじゃ)
御祭神:日本武尊
鎮座地:愛知県蒲郡市三谷町七舗139 Googleマップ
創建:寛治三年(1089年)
社格:旧郷社
神紋:五七桐笹
例祭:10月第4日曜日
<社頭由緒>
御由緒
一 祭神
日本武尊
一 由緒
當八劔神社ハ國内神名帳に從五位上八劔神社坐寶飯郡トアル古社ニシテ尾張國愛智郡熱田ノ宮ニ鎮リマセル神靈ヲ勧請移座セル深キ由緒ヲ有ス
抑々當社は古來三谷郷産土ノ神トシテ郷黨尊崇ノ中心タルノミナラス又武神トシテ世々ノ武將ヲ始メ一般衆庶(※旧字体)ノ崇敬を蒐ム
建久元年安達藤九郎盛長ハ源賴朝ノ命ヲ受ケ奉行トナリテ社殿ノ造営ニ任シ徳川家康ハ天文十六年駿河ヘノ途次及ヒ天正十年濱松ヘノ歸途特ニ當社ニ參拜シテ武運長久ノ祈願ヲ籠メタリト傳フ
慶長五年領主ヨリ社領ノ寄進アリ
爾後各領主亦之ニ倣ヒ以テ明治維新ニ及ヘリ
三河二葉松ニ三谷村八劔大明神社領六石六斗四升六合トアルハ是ナリ
明治十七年八月十二日社格ヲ附セラレテ郷社ニ列セラル
往昔ハ廣表四町四面ノ神域ヲ有セシカ戦國ノ亂世ニ及ヒ縮狹セラレテ今ハ森ト称(※旧字体)スル地名ニ纔ニ其ノ名殘ヲ留ムルニ過キス然共尚千八百有餘坪ノ境内ニハ老松鬱蒼トシテ社殿ヲ圍繞シ古ヲ偲フニ足ルモノアリ
境内神社トシテ源太夫神社諏訪神社稲荷神社御鍬神社秋葉神社尺地神社水神社金比羅神社ノ八社ヲ存ス
一 例祭
陰暦九月九日俗ニ三谷祭ト称(※旧字体)ス
<ひねもすのたり宮さんより無断転載>
社頭由緒も記録したけど、めんどくさいので。
寛治三年(1089年)に創建したものの一時期荒廃し、源頼朝の命を受けた安藤籐九郎盛長が奉行となって、建久元年(1190年)に再建したという。荒廃するのはやっ!戦でもあったの?
社殿右側にある源太夫社、御祭神は乎止世命。
源太夫(げんだゆう)社とは熱田神宮上知我麻神社の俗称で、御祭神の乎止與命(おどよのみこと)は日本武尊の妻、宮簀媛命(みやずひめのみこと)の父で尾張国造。
ちなみに乎止與命の妻、真敷刀俾命(ましきとべのみこと)は下知我麻神社の御祭神で、俗称は紀太夫社。
なんとなく、なんとなく、根拠は無いのだけど。八剱神社こと日本武尊が祭られる前に源太夫社が鎮座していた気がする。
A.尾張氏の勢力圏に入り、源太夫社=乎止與命が祭られる
B.大和の集権が進み、尾張氏の威勢が衰え、神社の衰微が始まる
C.熱田神宮側で日本武尊の存在価値が高まり、尾張氏を祭る各神社へ勧請(上書き)される(寛治三年)
D.武士の時代となり、境内の荒廃が進む
E.尾張生まれ、熱田神宮大宮司の孫、源頼朝が鎌倉幕府を開き、熱田神宮関連社を再建する
こんな流れ?由緒の消えている境内社はこのケースがままあるので。
右から手水舎、靖国神社遙拝所、水神社、長寿の亀。
あ、諏訪神社天満社合殿の画像はどこだっけ…
神馬。ウマー
右の赤い鳥居は稲荷社:宇賀之御魂大神。左は右から秋葉社:火之迦具槌大神、御鍬社:天照大御神、尺地社:猿田彦大神。
猿田彦大神のところに神砂が。1個だけだったので撮影だけして戻しておいた。
御朱印はやってないとのこと。是非頂きたかったなぁ……三谷祭りの神社でもあるし。










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