佐和山城遺跡発掘現場説明会に行ってきた

http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2009072402000120.html
13:30からの午後の部に参加しました。
参加者数は50名くらいでしょうか。うち30~40名は中高年。佐和山で出会ったバスで来た団体さん(三河史蹟なんとかの会)も全員中高年でしたし、そういうものですかね。

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実は佐和山へは朝来ていたのですが、同行の友人O(城マニア)が説明会の場所がわからないと言い、城に詳しくない私はとりあえず彼と共に城を登っちゃったわけで。
よく考えたら武家屋敷が本丸にあるわけないのに
登山口南側で佐和山城を窺っていたっぽい女性二人組をお見かけして、尋ねてみようとしたのですが、道路を渡りそこねているうちに行ってしまわれて・・・あれが運命の分かれ道だった気がします(´・ω・`)

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なにげない用水路と土盛りだと思ってたら内堀と土塁の跡とのこと。
ってことは今立ってる場所は城下町!

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この尾根と尾根の間が「奥ノ谷」と呼ばれるあたりで、武家屋敷跡とのこと。
向こうの台形の山が佐和山。
敵に攻められたときは尾根ごとに集結し、谷へ寄せてきた敵を尾根から挟み撃ちにするという構造。

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このような石組みや堀跡が確認されています。
山から水が湧き出てくるので、生活用水として使用できるよう整備されていたようだと説明の方曰く。

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発掘調査されて今回公開されたのは、山裾に沿った端っこだけ。
奥からずっと堀が整備されていたそうです。

堀は二重構造になっていた、って言ってたっけ?

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門柱と橋状遺跡堀にかけられた橋の跡。柱間2.1m。
ここの門から堀にかけられた橋を渡り、尾根への道が通じていたのではないか。
という話を地元の方にしたところ、実際ここに山道があったそうです。

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このあたりからは、瀬戸物や備前物の生活用品が出土しています。
信楽物は見つからなかったとか。

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橋状遺跡のあたりを遠くから。
発掘現場が細長く続きます。

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石が見えるあたりは井戸の跡とのこと。
石仏を転用されているのが見つかっています。
石のリサイクル?は石場に恵まれない地域ではよくありますね。
姫路城では近くの古墳から持ってきた石棺がありましたし。

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真ん中に石が乱雑に積まれています。

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上を別角度から。
どうも佐和山城を破却した際に、堀を埋めるのを兼ねて投げ入れられたものらしいです。
ここから五三桐文銅製紐金具が見つかっています。

ここで発掘現場説明は一応終了。

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余談的に、大手門側へ移動しての解説をするために、南の尾根をひとつ越えたあたりへ移動して佐和山の説明と質問タイム。
この道が登城道らしいです。

実は集合した13:30から終了するまで断続的に雨が降り、参加者全員足に泥撥ね(´・ω・`)
こんなことならサンダルで行けばよかった。
あ、画像は最後以外、解説前の天気が落ち着いていた頃に撮影しました。

また何かあったら行くかねぇ。

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