浜松八幡宮(静岡県浜松市中区)

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遠州鉄道八幡駅から東へ徒歩数分。神社参道入り口です。
それにしても遠州鉄道の初乗り100円って安っ!

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本格的な境内はここから。右には社務所とレストラン?がありますよ。

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神社名:浜松八幡宮
鎮座地:静岡県浜松市中区八幡町一番地
御祭神:玉依比売命、品陀和気命、息長足姫命、伊弉諾尊、伊弉冉尊
創建:仁徳天皇御宇(393~427)
社格:旧郷社

【由緒】
 八幡宮の御祭神は、品陀和気命(応神天皇)、息長足姫命(神功皇后)であって、石清水八幡宮は中御前の応神天皇をはさんで、東・西御前にそれぞれ神功皇后、宗像三神をお祀りしてあります。当社でも、馬込町に在った白山神社の祭神である、伊弉諾・冉尊を下垂に祀られていた玉依比売命を本殿に遷し、祀ってあります。
 七四九年、天平二十一年に、神武天皇は、大仏鋳造に神の援助を仰ぐため、宇佐神宮より八幡神を迎えられ、更に八五九年、清和天皇、貞観元年に僧行教によって、同じく宇佐八幡神を男山に迎えました。神功皇后摂政時代の国威発揚期の人心や、応神天皇時代、有力帰化人による文物伝来の伝承を史実として回顧した当時の人びとの心情によって、単なる産土神や、氏神でなく、「国家の祖廟」、「鎮護国家」の神として、伊勢の皇大神宮に次ぐ崇拝をうけるに至りました。
 諾冉ニ尊は、神話では「国生みの神」。玉依比売命は、神武天皇の生母として語られ、民族信仰上、祖先神として敬われた神々であります。
 源義家が男山八幡宮神前で元服したという伝承によって、武家の棟梁源氏の氏神となったことから、八幡信仰は、中世以降さらに大きな地歩を固めました。この過程において、極めて自然に神仏習合の信仰が浸透して、八幡大菩薩の称号も生まれました。
   「社伝及び郷土史家研究に基く由緒」
 社伝によれば、仁徳天皇、遠津淡海の海運安穏のため、海神、玉依姫命を、現小沢渡町の許部の里にお迎えしたとあります。この許部神社は、「延喜式」の敷智郡六座の神の中に登録され、極めて由緒のある神社であります。その後、九三八年、朱雀天皇、天慶元年に、神託によって当地に遷されました。その節、白狐が老翁の姿となって「浜の松」を移し植え、「浜松」の地名となったとも伝えられております。この翌年、平将門が常陸で、翌々年藤原純友が伊予で反乱を起したため、石清水八幡宮の神霊を頼る信仰が盛んになった頃でありました。
   「武家の信仰」
  一〇五一年、後冷泉天皇、永承六年、八幡太郎義家が、陸奥に出陣の際、当社に参篭し、源氏の氏神である八幡社を喜び、武運を祈って
   契あれば 帰り来るまで 石清水
         かけてぞ いはふ 浜松の里
と詠進し、武運を祈って社前に楠の下に旗を立てたと伝えられ、「御旗楠」とよんでおりました。これが、現存する「雲立の楠」の起源とされています。
 一四三二年、後花園天皇永享四年、義教将軍が富士山を慕って駿河へ下向した際、先述の小沢渡町より移した松が成長して臥龍の様に這い伸びている姿を見て、「浜松の音は颯々」と謡ったといい、この松を「颯々の松」と語り伝えられてきました。この縁起は、現在、野口町に石碑が残されていますが、昭和二十年の空襲によって焼失して、今の松は三代目であると郷土史・『浜松の史跡』で述べております。
 一五七〇年、正親町天皇、元亀元年六月、徳川家康が岡崎より浜松へ入城した時、源義家の東征祈願の由緒があり、更に鬼門鎮守の氏神として信仰厚く、一五八六年、駿府に移るまで、当社を祈願所として数度社参して、武運長久を祈ったと伝えられています。更に、一五七二年、元亀三年十二月、三方原合戦に敗れた家康は、天林寺に入り、義俊和尚が案内して当八幡宮に逃れ、義家ゆかりの「楠」の洞穴に潜み、甲州勢の追手を逃れて武運を祈願した時、楠の上に瑞雲立ち昇り、神霊が白馬に跨り、浜松城方面へ飛び立ちました。家康は八幡宮の加護により「戦われに利あるべし」……と勇躍、城に帰り、犀ヶ崖に布の懸橋を渡して、武田信玄の入城を防ぐことができました。有名な酒井忠次の陣太鼓の武勇伝も、この時のことであります。
 これにより、家康開運の社前の楠(「御旗楠」)を「雲立楠」と呼ぶに至りました。これらの伝承は、古老・郷土史家の伝える諸説であります。その後も家康は代々当社を祈願所として、旗・神馬を奉納いたしました。
 豊臣秀吉は、北條氏征討の資金を調達するため、神領を没収し、寺島八幡の社領であった現在の寺島町・旭町付近のみを、八幡地として残しました。一六〇三年、家康は征夷大将軍に任ぜられ、歴世・社領五十石の朱印を与えましたが、明治新政権により上地とされ、同年、郷社に列しました。
   「八幡宮に合祀された諸社」
 明治末年、祠官近藤伊織氏上申による、静岡県庁・社寺課の認可によれば、
   相殿 天之御柱命 国之御柱命
      神倭伊波礼毘古(神武天皇)
      大気都比売命 伊佐波登美命
      神直日神 大直日神
      猿田彦神 蛭児神
とあり、この神々は現在境内末社・浜松稲荷神社に祀ってあります。
又、東照宮も一宇、氏子八百七拾戸とあり、この神祠は、同じく現在境内末社の東照宮に祀ってあります。
 明治四十四年二月六日 下垂・無格社 池神社合祀の許可
 仝     五月八日 野口・無格社 颯々神社合祀の許可
 昭和四年八月十三日  早馬町    浜松稲荷神社合祀の許可等が記載されております。
 昭和年月不明     馬込町    白山神社合祀
【浜松八幡宮由緒より抜粋転載】

式内社とは知りませんでした。八幡神の流行により上書きされた一社のようです。

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境内は杜多目。近所にあったら散歩に行きたくなる感じ。

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由緒にあった境内社。手前が稲荷社、奥が東照宮、かな。

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これが由緒にありました、御旗楠であり、雲立楠。
でかいです。
源義家の時代に旗をかけるほど育っていたとすれば、樹齢千年以上ですよね。

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洞穴ってこの間のこと?
これは逃げてなくても入ってみたい。

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浜松八幡宮御朱印。

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この記事へのコメント

浅黄
2012年02月13日 12:52
近所の八幡宮を 訪れていただいて ありがとうございます。
節分と5月3日の朝は 浜松まつりの祈願祭があります
2012年02月14日 00:36
恐縮です。
浜松八幡宮さんは近所にあったらいいなーと思う神社のひとつです。
節分の日はあの砂利がほんのり茶色くなるのでしょうね。

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