東郷町春木富士浅間神社(愛知県愛知郡東郷町)

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沓掛諏訪社一之御前神社からずっと道沿いに進み、祐福寺交差点を越えてしばらく進んだ左手に、こんな石標が見えたら参道入口。

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石標から軽い坂道を200mほど進むと一の鳥居。社殿はさらに坂道を100mほど上ったあたり。

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鳥居左には道をはさんで茶苦煎池。なんと読むんだ茶苦煎池。
さらに池の先には東郷高校。元境内地もしくは現境内地を貸しているのかも。

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神社全体が浅間山という小高い山で、その中腹に社殿があります。
社殿左には境内社大集合。

神社名:富士浅間神社
鎮座地:愛知郡東郷町大字春木字狐塚3801
御祭神:木花咲夜姫之命、須佐之男命、大物主命
創建:不詳
社格:式内社?、旧村社、五等級社
境内地:一万坪余
境内社:神明社外15社
例祭:7月第1日曜日
宮司:加藤吉嗣

【由緒】
御祭神
 主祭神 木花咲夜姫之命(コノハナサクヤヒメノミコト)
 脇殿祭神 須佐之男命、大物主命(大黒さん)
御由緒
 当神社は、古来「伊福神社」(イフクジンジャ)と言われ、平安時代初期の国家の律令法制書、「延喜式」(967年制定)にその名が見える事から、1千年を越す歴史を持つ愛知郡最古の神社である。
 その後、猿投古窯群の北遷により一時衰退の時期を迎えるが、中世富士信仰の普及により祐福寺の護法神、富士山権現として奥の院に明治維新迄祭られていた。その間、当神社が桶狭間の戦い(1560年)の際、今川方残党による奇火に遭ったことも知られている。
 明治5年、神祇官令により寺領の一部が神域となり整備されたことにより「村社」に列格、明治44年春木屋敷にあった須佐之男社、金毘羅社(境内社)を合祀して神祇院より「供進指定社」となった。
 その後、太平洋戦争の敗戦により昭和21年神社本庁が設立され、愛知県神社庁所管「5級社」(旧県社並)に指定され現在に至っている。
御神徳
 主祭神は子供の神様、虫封じの神として知られ、北の尾張富士(犬山)に相対し、愛知郡はもとより、豊田、岡崎、西尾など主に三河地方よりの参拝が多い。現在、当神社の井戸は枯渇して無いが、熱田神宮の「井戸のぞき」は当神社よりの伝承と言われている。
 脇殿祭神より、農業神、疫病厄よけの神、国家安泰、家内安全の御利益も厚いと言われている。
例祭日  7月第一日曜
◎正月は四季桜、早春の梅、春の桜、初夏の皐月、秋の紅葉等1万坪を越す境内地には野鳥も数多く飛来しております。氏子の皆様の憩いの場としてお散歩にお越し下さい。
(以下略)
【富士浅間神社御由緒より転載】

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本殿もコンクリート造りですが、よく見ると幣帛殿との間に継ぎ目が。

この一帯は猿投古窯群にあたり古代に繁栄したが、のちに縮小して絶えてしまった地域。たしか境内からも当時の発掘品があり、「尾張國愛智郡伊副神社」に相当するとされた。社名からして尾張氏と同族の伊福部氏が祖先を祀った神社であろう。
しかし御祭神に伊福部氏関連の名が無いこと、東郷町のとなり名古屋市緑区の徳重熊野社に伊副利部連命が祀られていることなどから、個人的には疑問を感じる。

【祭典】
1月1日:歳旦祭
1月2日:交通安全祈願祭
1月15日:左儀長祭
3月春分の日:講社祭(虫封じ祈祷祭)
2月下旬より3月上旬:護國神社慰霊祭、祈年祭
7月第一日曜:例祭
10月第一日曜:秋季大祭
11月15日:七五三祭
11月下旬:新嘗祭

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境内地一万坪とあるように、境内地はとても広いです。
詳細は公式HPなどで。

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奥宮は浅間山の頂上にありそこへはやや急な石段が続きます。

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奥宮への途中に天王社外四社。左から白山社、神明社、天王社、金毘羅社、日吉社。

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奥社。木々に囲まれていますが、本殿はコンクリートの銅張で頑丈そうです。
お供えをするところ(何ていう名前だっけ…)には石が積んでありますけど、何で?

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奥宮から左には秋葉社、御嶽社があり、あちこちに石灯籠。

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西端の行者堂まで一周して戻ると、護国社と神楽殿。

【境内社】
奥宮
天王社
白山社
神明社
金毘羅社
日吉社
秋葉社
御嶽社
行者堂
八王子社
北野社
御鍬社
熊野社
三島社
鹿島社
山神社
箱根社
伊豆社

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富士浅間神社御朱印。宮司さんはお留守で、奥方様に頂きました。

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由緒にあった、祐福寺。“裕福寺”ではないので注意。

【浄土宗祐福寺由緒】
開創
 人皇八十二代後鳥羽院の御宇建久二年(一一九一)源頼朝の家臣、宇都宮頼綱入道蓮生房、傍示本に草庵を結び念仏の道場とせり。
創建
 人皇九十六代後醍醐亭の御宇嘉暦三年(一三二八)達智上人(太政大臣久我通雄の二男)諸国巡化の折り、当地に来り、時の長者、明知城主小野田長安傍示本、城主加藤時利の帰依を受け、此の地に大伽藍を建つ。当時は塔頭(末寺)
沿革
 二十五ヶ寺を有し、法灯盛んに念仏修行の大道場たり。後小松、後柏原、後奈良の三帝は特に勅使を派して、頼朝の道場となし天下泰平を祈り給う。足利将軍義教、義澄公東上の砌り当寺に泊し、歌を詠み、寺禄七百石を賜ふ。その後、織田信長、同信忠、徳川家康、尾張藩祖義直公当山寺安堵の墨印を賜ふ。
 当寺第四代融伝上人は加賀の国白山に月参し、その頂上にて白山権現より三幅の軸を預かる。今、本堂のご本尊と崇めまつる小三尊如来である。
(以下略)
【玉松山祐福寺由緒より抜粋】

源氏・足利氏ゆかりの寺ということで、今川義元も桶狭間の前日に当寺へ宿泊したそうです。

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祐福寺の東の住宅地内の小さな社。

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失礼して覗かせてもらうと……ここにも石が積んであった。何か意味があるのでしょうか。

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