熊野速玉大社摂社神倉神社(和歌山県新宮市)

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熊野屈指の名所、のはずなのに熊野詣ツアーでは外されがちな神倉神社です。
かなり納得いかない。
左手に見える鳥居は、出雲大社新宮教会。そういえば出雲には熊野の元宮といわれる熊野大社がありますね。

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入ってすぐにある境内社の…なんだっけ。

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天磐盾の石碑。

   天磐盾
 神武天皇紀(日本書紀)には戌午年(紀元前三年)六月に狭野(佐野)を越えて「熊野神邑に到り、旦天磐盾に登りて」と記しています。
 紀元二千六百五十年(平成二年)を奉祝して神武天皇聖蹟である熊野神邑(新宮の古称)の天磐盾(神倉山)の顕彰碑を神倉神社奉賛会が奉献し、文字は鈴木江邨氏が謹書されています。
 平成二年二月十一日 建国記念の日
   熊野速玉大社摂社 神倉神社


天磐盾の手前までは登れますので今から行くよ!

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この石段を上って。えらい角度だ…。足腰に自信のない方はこちらの遥拝所をお勧めします。ほんとに。
登るとしても、手前に置いてある杖を持って行くことをお勧めします。

ちなみに天磐盾へと続くこの石段は、1193年に源頼朝が奉納しました。
うちの近所生まれの頼朝さんです。

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途中の急すぎるところは撮影してない。

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このへんまで来ると普通の山道っぽい。

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本殿近くには新宮城主水野重良が奉納した手水鉢。

新宮市指定文化財 神倉神社の手水鉢  指定年月日 平成元年(1989)3月25日
 新宮城主第2代の水野重良(1596~1668)が、下野国(栃木県)那須城主の
大関高増の母の延命と繁栄を祈願して寄進したものです。
 「大関高増の母」は、重良の姉(妹)にあたります。
黒雲母花崗斑岩の巨大な石を加工して作られており、正面には寛永8年(1631)
2月、重良が寄進したことが刻まれています。
 阿須賀神社にも同様のものが奉納されています。
  平成21年(2009)3月 新宮市教育委員会


ここで大関高増の名を見るとは思わなかった。信長の野望ではそこそこ使える人。

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天磐盾。こんなの見えたらそら拝むわ。

神社名:神倉神社
鎮座地:和歌山県新宮市神倉1-13-8
御祭神:高倉下命、天照大神
創建:景行天皇58年(128年)
例祭:2月6日

祭神 高倉下命 天照大神
大祭 二月六日夜
 御灯祭りと言う古儀の特殊神事として
 名高い。白装束に身を固めた祈祷者が神火を
 松明にうけて急坂(源頼朝公御寄進の鎌倉式石段)を馳下る壮観な火祭りである。
御由緒
 熊野権現として有名な熊野速玉大社の
 摂社である。熊野三山(速玉・那智・本宮)の
 主神降臨の霊地、熊野信仰の根本とし申すべき
 霊所である。
 御祭神高倉下命は建国の功臣、熊野三党
 (宇井・鈴木・榎本)の祖として知られ、
 農業漁業の守護神として御神徳が高い。


創建は景行天皇代とされていますが、見ての通りの自然の巨岩。古代の自然信仰の場所に社殿を建てたのが景行天皇の時代ということでしょう。神武天皇が登られたのも紀元前ですし、神社のある神倉山からは縄文弥生時代の遺物やら、経典を収めた経筒などが発掘されています。
この御神体の巨岩は『ゴトビキ岩(琴引岩)』と呼ばれているそうです。熊野権現が降臨されたのがこの岩とされることから、熊野三社の元宮とされています。出雲の熊野大社との関係はよくわからない。

高倉下命というと熱田神宮摂社高座結御子神社を思い出すのが名古屋人。
尾張氏の祖先・天火明命とも色々絡んできますが書き始めると切りがないので割愛。
天照大神は正直、後付け感がありますね。

この神社の例祭である御燈祭は、冬のニュースでもよく見ます。
松明を持った若い衆がこの石段を全力で駆け下りると聞いていますが、こんな急な石段じゃあ転落事故も起きるのでは。

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天磐盾前から新宮市を望む。
新宮市の朝日の名所です。

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本殿までの石段途中の踊り場のようなところに鎮座する境内社。

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神倉神社御朱印。社務所には書置きしか取り扱っておらす、書いてもらうなら熊野速玉大社社務所のほうで頼んで、とのことでしたので速玉大社で一緒に頂きました。

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新宮城より神倉神社を望む。

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