あらいのじかん〜神社と朱印、ときどき猫と自転車〜

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zoom RSS 八幡神社松平東照宮(豊田市松平町)

<<   作成日時 : 2007/08/22 00:21   >>

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挙母神社から東へ東へ山間部へ入り、松平交差点を過ぎて国道301号を進んで行くと松平郷入口駐車場があります。神社はここを入ってもう少し奥に。

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こんもりしてよく見えませんが、神社があります。松平氏館の跡地に建てられたので、館の掘りが残っています。

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神社名:八幡神社松平東照宮(略称 松平東照宮)
鎮座地:愛知県豊田市松平町赤原13番地
御祭神:譽田別命(八幡様)、徳川家康公、松平親氏公、他六柱
神紋:葵
例祭:4月17日より前の日曜とその前日

神社の左手に手水舎、社務所。右手には『松平郷館』があり松平氏の歴史などを学べます(無料)。その右奥へ少し歩いたところに奥宮があります。
画像の左端の子供は鯉にエサをあげているところ。エサは社務所に(数量限定)。

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水もセルフ式の水盤。下で何かが支えている。

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鳥居をくぐってからの社殿全景を撮影し忘れてた。本殿画像はあったのでこっちを。

【御由緒】
徳川家康の始祖である初代松平太郎左衛門親氏公が居をこの地に定め氏神として若宮八幡を勧請したと伝えられる。後世九代松平尚栄が館の整備を行い、元和五年(一六一九)に久能山東照宮より徳川家康公(東照公)の御分霊を勧請し、奉祀し、昔は例祭に三河国各地より献馬があり盛大な権現祭が斎行されていた。明治維新後は三河国各地からの献馬は中止されたが、近郷集落より献馬、空砲、棒の手の奉納がされるようになり終戦まで続いて来た。
大正五年松平郷内に奉斎の三社を合併し、昭和初期に松平家の館跡へ境内を拡張して、現在の社殿を新築し旧社殿を奥宮とする。昭和四十年初代松平親氏公を合祀し、八幡神社を松平神社と改める。
当社は東照公奉祀以来、「松平の権現様」または「松平の東照宮」と呼称され、立身出世の神、政治の守神、安産の神、厄除けの神として、広く崇敬され親しまれて来た。昭和五十八年、昔から称されてきた八幡神社松平東照宮と改称する。

(『八幡神社松平東照宮略記』より転載)

まさに由緒。とてもはっきりしているので書くことがない。
なので補足する意味で松平郷のことを書いておきます。

松平郷
 松平郷は、豊田市街から東に10km、国道301号線沿いの山村にあります。東に標高684mの焙烙山や標高606mの六所山を有し、西に行くに従ってなだらかな丘陵地となっています。徳川300年の礎となった松平八代の歴史は、ここ松平郷から始まります。
松平氏の発祥
 松平郷の開拓領主は、後宇多天皇(在位1274〜1278年)に仕えた公家の在原信盛と言い入郷したのは弘安年間(1278〜1287年)の頃で、現八幡神社松平東照宮境内に本屋敷を構えたと伝えられています。信盛の子信重は、開拓を進め人馬の道を作り交通の便を図りました。後にこの地を訪れた旅の僧徳阿弥は、信重の末娘水女の婿として家を継ぎ親氏と称しました。ここに徳川家の始祖松平太郎左衛門親氏(不詳〜1394年4月24日没)の出現です。
天下人への野望
 親氏は、近隣7ヶ村を手中にし松平家の勢力拡大のきっかけをつくりました。親氏の弟泰親は、その子信広、信光を従え岩津城を落としました。この戦いでけがをした信広を松平郷に残し、信光とともに岩津を居城としました。
 松平宗家三代信光の代に岡崎・安城に勢力を広げ西三河の大半を手中にし、戦国時代の一大勢力となっていきました。七代清康は安城から岡崎に居城を移し、三代信光の再来を思わせる活躍をし、三河一国を支配しました。尾張守山を攻めた清康(この時25歳)は近臣に殺され、兵は総崩れとなりました。八大広忠はこの時10歳。清康の死により松平一族の支配圏は弱体化し東の今川氏、西の織田氏から攻められ支配圏は縮小していきました。広忠もまた近臣の者に殺されたことを知った今川義元は、岡崎城を手中にしました。その時、後継ぎ竹千代(8歳)は、織田信秀の元にありました。
 松平家初代親氏の天下泰平の願いは、竹千代(家康)に託されました。

(小冊子『松平郷』より転載)

在原氏の時代から松平氏を名乗っていたとかいないとか、そのへんはよくわからない。
親氏は清和源氏の新田氏の支族、らしい。
そのへんは勝者の作る歴史ということで。

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本殿右手にあった謎の石像。いや薪を背負ってるからあの人か。

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屋根瓦?置いてあったので。

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元の八幡神社で、現在の奥宮。あまり大きくないのは松平家の邸内社だったからと思われ。

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奥宮のすぐ右手に産湯の井戸。奥は弁財天社、だったと思う。在原信盛が掘ったといわれ、松平氏は代々この井戸の水を産湯に用いたという。家康のときも早馬で届けたそうだ。

で、神社のある一帯は松平氏遺跡として国の史跡に指定されいるそうで、色々整備されています。
整備されすぎて風情がないとも……そのへんの様子は松平の里観光協会などでご覧下さい。

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松平郷園地の松平親氏公像。
イケメン!

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神社から坂を上った先にある高月院。法然上人三河二十五霊場の第一番と書いてある。
1367年に足助次郎重宗の子、重政(寛立上人)が在原信重の援護を受けて「寂静寺」として建立。1377年に親氏が本尊阿弥陀仏らを寄進してから「高月院」と改め、松平氏のの菩提寺となった。
裏には松平氏の墓所があります。

在原氏の墓所は神社の北東の山中に、ぽつんとありました。

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八幡神社松平東照宮御朱印。左上は親氏公の願文の一部で、全文は

天下和順日月清明[てんげわじゅんにちがつしょうみょう]
風雨以時災歯s起[ふうういじさいれいふき]
国豊民安兵戈無用[こくぶみんなんひょうがむゆう]
常徳興仁務修禮譲[しゅとつこうにんむしゅらいじょう]

願文の意
「天下は和にしたがい日々清明であれば災いは起こらず、国は富み民は安らかで戦いは無用。
よって人はつねに徳を尊びいつくしみの心を以て礼を厚くし人格の向上に努めるべし」

と、小冊子に書いてあった。入力はめんどいのでこちらから転載

宮司さんはちょと耳が遠い方のようでした。授与所には産湯の井戸のお水も頂けます(たしか100円)。

お祭りは例祭の「松平春祭り」と、2月第2日曜日の「天下祭」。
春祭りは土曜日にお水取り神事と天筒花火奉納、日曜に神輿が高月院の墓所まで行くという。
天下祭は厄払いの裸祭り。

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