あらいのじかん〜神社と朱印、ときどき猫と自転車〜

アクセスカウンタ

zoom RSS 本郷熊野神社(東海市加木屋町)

<<   作成日時 : 2007/08/16 23:22   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 4 / トラックバック 1 / コメント 0

名古屋から半田へ抜ける県道55合号、昔の半田街道の白拍子交差点を西へ曲がってすぐのところに参道が。
しかし白拍子という名も気になる…近くの白拍子橋が由来らしい。

画像
よくある参道が公道になってる神社。鳥居前で枝分かれしている。

画像
参道の右手に香良州神社。3月第3日曜日に、女性の本厄(三十三歳)の方が三十三個の餅投げを行い、厄を祓う神事が行われるそうです。

画像
参道左手には……なんだろう?神宮寺の名残とか?
小さな社には津島社とある。

画像
神社名:熊野神社
鎮座地:愛知県東海市加木屋町宮ノ脇43番地
御祭神:速玉之男命、伊邪弉冉命、事解之男命
例祭:4月第3土曜日(試楽祭)、第3日曜日(本楽祭)

御由緒
 當神社の創建については詳かではないが、古記録によれば「永禄三年五月(一五六〇年)今川の家臣であった久能清兵衛宗政が駿府久能山を出る時弥陀・薬師・観音の三尊を所持していたが、加木屋村に足をとどめた宗政はこの観音を氏神神体として當時、宗政の家屋の戌亥に當って氏神本社があったが、この森へ移し奉り御徐地に願って熊野之社宮と崇め奉る」と記述されている。
 また當神社には「慶長八年癸卯正月吉日(一六〇三年)奉修復熊野権現村中安全所」の棟札、拝殿に奉る「熊野三社宮」の社名額が現存しているので、何時の時代に勧請されたかは記録はなく不明であるが、紀州熊野から勧請されたものである。


戦国時代に駿河の今川氏が最盛期を迎えた頃、知多半島にもかなり食い込んでいたらしい。熱田の対岸、東海市船津神社に伝わる刀を今川義元の刀と取り替えたという故事があるくらいで。後に義元公が桶狭間で討たれ、今川氏が滅びると、知多入りした今川勢力は帰農するなどして消滅している。
久野氏についてはこちらが詳しい。ん、成海神社にも久野氏の名前が。

画像の右奥、本殿のとなりあたりに境内社、画像左に社務所がある。

祭礼は神社の南方にある新田熊野神社、仲新田宗像神社とあわせて行われ、「かぎやまつり」と呼ばれている。試楽祭では提灯行列で神様へのご挨拶と御神輿の通り道を清める。本楽祭で本郷熊野神社の神様を神輿にお乗せして、新田熊野神社、仲新田宗像神社へと神輿渡御神事が行われる。明治時代には山車四基が出たそうだ。

画像
拝殿近くに方位盤が。使い方はよくわからない…
あと、癸が読めない。わかるまでパソコンで出すのに苦労した(´・ω・`)

画像
【境内末社】
香良州神社:稚日女命
多賀社:伊邪那岐命、伊邪那美命
津島社:建速須佐之男命
山神社:大山祇神
御嶽社:大己貴命、少彦名命
愛宕社:軻遇突智命

社は五つあるようなので、先の香良州神社以外の五社だろう。では先の津島社は?あと謎のお堂は御嶽社ではないらしい。

画像
参道途中の常夜灯、一対の東側。「○明八戌申載八月吉祥日」「神主 久埜市正藤原○之代」とある。西側には「天明八戌申年八月吉祥日」とある。なぜ書き方が変えられているのだろう?

画像
御朱印。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 4
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス ナイス

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
新田熊野神社/仲新田宗像神社(東海市加木屋町)
本郷熊野神社のある白拍子からさらに南、名鉄河和線をくぐったあたりの仲新田に、小さな神社がありました。 ...続きを見る
あらいのじかん〜神社と朱印、ときどき猫と...
2007/08/17 00:29

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
本郷熊野神社(東海市加木屋町) あらいのじかん〜神社と朱印、ときどき猫と自転車〜/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる