あらいのじかん〜神社と朱印、ときどき猫と自転車〜

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zoom RSS 船津神社(愛知県東海市)

<<   作成日時 : 2008/02/18 00:28   >>

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愛知県東海市で唯一神職さんが居られる神社(たぶん)。以前から知多半島方面へ出掛ける際によくお参りしていたところです。

神社の西側の道を南下すると半島西側へ、東側からは阿久比を経由して半田へ通じています。

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鳥居前。厚い森に包まれている神社らしい神社。

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参道を進むと広い場所へ。この画像は12月31日に撮影したもので、正月の準備で忙しそうでした。
社殿左側に手水舎と社務所。あと参道にちょろっと盛り上がりがあり、おそらく清め橋かと。

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手水鉢。「嘉永三年子十一月 造榮講 當國藪村 石大工茂八 三州岡崎八軒町 石大工庄七」、反対側には「清揚」とある。
きれいな四角だなぁ〜くっさん喜びそうだな〜と思って近付いたら自動で水が出てきた。センサー式は初めてだよ。

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ちょっと高いとこから拝殿〜幣殿〜本殿。
右端にちょろっと境末社。

神社名:船津神社
鎮座地:愛知県東海市名和町船津一番地
御祭神:建甕槌大神 塩土老翁大神
創建:応神天皇代(400年)
社格:旧郷社
面積:境内地5000坪、境外地9700坪
例祭:9月第四日曜日

<由緒>
この地は、十二代景行天皇の御子日本武尊ご東征の時、伊勢より海を渡られて、ここに御船をおつけになり、なわで船を松の木につながれたことによって、名和船津の地名が出来たということである。社伝には、十五代応神天皇の御代(四〇〇年)お社を建てられて、船渡大明神の号を賜わり、縄三郷の総氏神であったと伝えられる。六十一代朱雀天皇天慶二年(九三九年)勅して、社殿を造営し、四種田(御供田、土器田、油田、番匠田)を賜わり神領となる。時に平将門が謀反を起したので、藤原忠文征夷大将軍となり、東征の時、当神社に来て、武運と交通無難を祈願した。それより国司、地頭の崇敬が殊に厚く遠近より参り天下泰平、国家安全、五穀豊穣、交通無難を祈願する者が多くなったという。七十八代二条天皇平治元年(一一五九年)野間の住人長田忠致は左馬守源義朝に入浴をすすめ、だまし討ちで殺した。義朝の家来渋谷金王丸は義朝の首を奪い返そうと長田のあとを追って当神社の前を過ぎ橋を渡ろうとしたが、馬がわなないてどうしても進まない。これは船津大神の神威の故であろうと恐れ、ご神前に引き返して、一心に祈願をこめ、銘刀三条小鍛治宗近を奉納すると漸く進むことが出来た。世にこれを下馬代の宝刀といい、その所を今トドメキ橋という。しかしこの銘刀は正親町天皇永禄三年(一五六〇年)今川義元が桶狭間に陣をしいた時、義元に正宗と取りかえられ、これを達磨正宗といい今も保存されている。
南北朝時代の乱戦によって神事が甚だ衰退したので、神主藤原朝臣早川吉定(今の早川宮司家の中興の祖)は大いに力をつくし、百一代称光天皇応永二十五年正月十一日(一四一八年)社殿を悉く改造した。天正十年九月十三日(一五八二年)三河国刈谷城主水野和泉守忠重は社殿改造費として船津山六町七畝二十七歩を寄進された。元禄八年六月(一六五九年)宰相大納言徳川光友卿(尾張藩主二代)当社にご参拝になり、宝刀正宗をご覧になって大いに感じられ自筆の松の画並びに鶉の画の二軸を賜わる。百十九代光格天皇天明六年(一七八六年)大納言徳川宗睦卿(尾張藩主九代)も当社へご参拝になり、正宗の宝刀をたいへんおほめになって、初穂金若干を下された。又池田候より紋付の戸張、幕、提灯を寄進されたという。その他寛政以後も崇敬者が永代祈祷料として多くの田畑を寄進した。
このように古来よりそのご神徳はあまねく崇く昭和十九年郷社に列せられた。
  古来の伝説
 当社の御前を航海する船はご神威を恐れて常に敬意を表し、白帆を下げて過ぎ、陸では必ず馬を下りて一拝しない者はなし。又甕の宝物があって、氏子一同かめを不浄物に用いない風習がある。これを犯す時は、その家必ず栄えないという言い伝えが今なお残るという。
<船津神社御由緒より転載>

宮簀媛命の屋敷(一説に尾張氏が移住した際の上陸地、尾張氏の本拠地)があった氷上姉子神社の南西1km強と目と鼻の先であり、船津神社全体が小高い山なので、古代にも船が係留されたというのは納得できる話。
場所的に尾張中心部と知多半島を繋ぐ交通の要所のようで、戦国時代に織田信長が村木城の合戦へ出陣した際も、熱田からこのあたりへ船で渡ったと言われています。
トドメキ橋の場所はよくわからないのですが(神社北の小川の橋?)、神社北東にトドメキという交差点があります。
あと早川宮司家については、こんなサイトもあり、摂津から来た早川氏との伝承があるそうです。水野氏も瀬戸水野発祥で、知多にも一族があったといいますし。友人にひとり、代々住職の水野さんがいたなぁ。

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社殿西側の境内末社。たしか秋葉社と津島社。

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拝殿東側に境内末社三社。神明社、豊受社、山神社、だったかな……沢山あったので失念。

【境内社:御祭神】
 <摂社二社>
鷹宮前社:天鈿女大神、猿田彦大神、相殿・武内宿称
源大夫社:小止与命、建稲種命、宮簀媛命
 <末社十一社>
山神社:大山祗神、大山昨神
猿田彦社:猿田彦神
御嶽社:大己貴神、少彦名神
稲荷社:倉稲魂神
秋葉社:加具突智神
津島社:須佐之男命
伊勢神宮:天照皇大神
豊受社:豊受姫神
神明社:天照皇大神
船津天満宮:菅原道真大神
白龍社

神社の方に由緒書きを頂き目を通し……ん、摂社なんてあったの?って源大夫しゃじゃん!?と境内を歩き回っても見あたらない。再び神社の方に尋ねても存じておらず、尋ねた方がまた別の方に聞いてやっと判明。
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本殿のすぐとなり、社務所裏の道から登らないとわからない場所にありました。氷上姉子神社のすぐ近く、真北には阿由知潟(現在の南区)をはさんで熱田神宮ですから、あるのが自然ですよね。

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以前、境内掲示板に貼られていた神社新報の記事。古老の神職さんとしてこちらの早川清彦宮司が紹介されていた。

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船津神社御朱印。授与所は普段不在なので、神社すぐ北の早川さんのご自宅へお訪ね下さい。

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そんな感じの船津神社でした。

あ、神紋確認するの忘れた。

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