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zoom RSS 伊文神社(愛知県西尾市)

<<   作成日時 : 2009/07/09 07:22   >>

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名鉄西尾線西尾口駅の西、小さな川を渡った先の伊文町に鎮座している神社。

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境内は広いですよ。この日は地面がぬかるんでましたけど・・・

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参道右手に伊文山辨財天こと三姫社。伊文山は伊文神社の旧称です。

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神社名:伊文神社
鎮座地:愛知県西尾市伊文町17番地
御祭神:素盞嗚尊、大己貴命、文徳天皇
創建:不詳
神紋:木瓜
社格:旧郷社
例祭:7月15日
月次祭:毎月1日・15日

【由緒】
 伊文神社は今よりおよそ千百五十年前の平安文化華やかなりし頃、人皇五十五代文徳天皇の皇子八條院宮が伊川津の地より当地へ御轉住の折に伴い、大字鶴城字伊文の地に遷座されました。往古は伊文山天王宮と称し、『国内神名帳』には内正三位母大明神と記載されております。
 承久(1219〜1222)の頃より、本所の総鎮守として西尾城主を始め士民一般の崇敬厚く、特に夏の祭礼は祇園祭と称され、神輿の渡御を中心に六ヶ町(天王町・肴町・本町・中町・幸町・須田町)の神賑行事も盛大に町中総出の賑わいで、西尾の町の風物詩として広く親しまれてまいりました。

 また江戸の世になってからは、神階における最高位である正一位を宣下賜わり、徳川幕府より朱印地十八石五斗の寄進を受けるなど益々神威を増し、夏の祭礼においては、祭事を厳ならしめんと西尾城主より遣わされた鉄砲・弓・槍等を神幸行事に随行させ、また祭費として米五俵銭四貫などを奉納することが通例となっていきました。

 明治の世になり神仏分離の制度に従って伊文神社と改称。明治五年九月郷社に列し、昭和五十四年一月一日夕刻、不慮の火災にて拝殿及び琴平社拝殿が炎上するも翌年には御社殿再建委員会が組織され、委員各位の弛まぬ努力と氏子崇敬者の素晴らしきご厚志により、翌年コンクリート造の御社殿として見事に復旧し現在に到ります。
伊文神社由緒より転載】

伊川津は田原市?ということは、三河湾を隔てて南の渥美半島から遷ってきたのですね。渥美には伊川津貝塚などがあり、古代に発展していた地域だったようです。名古屋からは遠くて行けないのですけど。
時代が下がると内陸部のほうが発展し、西尾も三河国内でも屈指の発展を遂げたらしいです。
このあたりは海面低下後に良い耕作地となったのでしょうね。

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子安の水。ぜんそくなど子供の病気にご神徳があるそうです。

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伊文神社御朱印。社務所に常駐されているようです。
津島神社で頂いた素戔嗚尊巡拝帳の神社でもあります。

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正一位宣下百五十周年記念修復事業趣意書。安政元年(1854)11月29日に『正一位』宣下を賜ったという。宣下記念事業とははじめて聞いた。
昭和54年1月1日に不慮の火災で拝殿と琴平社を焼失、56年12月に復興しました。正月に燃えたってことは放火じゃないよね・・・

【末社】
琴平社:大物主神
多賀社:伊邪那岐命
稲荷社:倉稲魂命
秋葉社:迦具土神
三姫社:多紀里姫命、多紀都姫命、狭依姫命

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西尾市指定文化財の義倉蔵。うろおぼえながら、地元商人らが飢饉に備えて食料を備蓄していたとか。

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