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zoom RSS 龍尾神社(静岡県掛川市)

<<   作成日時 : 2009/08/03 19:34   >>

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掛川駅から北へ、掛川城からさらに北の龍尾山に、掛川城守護龍尾神社が鎮座しています。参道は西向きだったような。

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石の階段は薄暗い感じ。足元に注意しましょう。

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石段途中右手に手水舎。
手水鉢を修理した際に奉納した人々の名前が判明したとのことで、そのリストが張り出してありました。

  世話人
浅羽屋惣左衛門 ○○○○ 不明
出雲屋鉄蔵    池田屋  不明
米屋平三郎    萬屋    不明
谷口屋?
油屋栄治     梅田屋   不明
富田屋仁三郎
津賀屋千代作  享和二年戌六月
石原屋 不明
白子屋松蔵
原田屋音蔵   逆算一八七年前
         敬称省略

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三夜灯って書いてある。頭が無いけどね。

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神社名:龍尾神社
鎮座地:静岡県掛川市下西郷84
御祭神:素盞嗚尊、櫛稲田姫尊、八柱御子神
神紋:五瓜唐花
社格:式内論社
例祭:10月10日付近の土日
宮司:龍尾司郎

【由緒】
 龍尾神社は掛川城の北東に位置する古社で、古くは「龍尾山牛頭天王」と称しておりました。掛川城の築かれた峰から連なる山脈を、この地を守護する龍になぞらえ、龍頭山・龍胴山・龍尾山と名づけ、鬼門にあたる龍の尾の山に当社は鎮座しております。龍尾山は城の攻守の要であり、かの天王山の戦いでは、徳川家康公が本陣をおいた場所としても知られています。
 神社の創祀に関しましては詳らかではありませんが、延喜式内社の真草神社が当社であるとの説もあり、神宝である「真草」の、社額がその関係を物語っています。鎌倉時代の書物(宝治二年(1248)時の地頭職忍十郎義広が遠州国旧社詣の記)に、「みな人も 深き願ひを 掛川の 龍の尾山の 神のみずがき」と龍尾神社を詠んだ和歌が見られることから、当時すでに現在の地に鎮座していたことが窺えます。また掛川城の築城に際して、旧城域に祀られた古い社を当社に遷宮合祀し、以来掛川城の守護神として、歴代城主のみならず、掛川藩の民や東海道を往来する旅人の信仰をあつめました。尚、現在の御本殿は江戸時代中期の掛川城主、小笠原山城守の御造営によるものです。その他境内には、城主太田備中守奉納の石灯籠や、獅子頭、木製瓶子など歴史的にも貴重な品々が伝わっております。
【龍尾神社由緒より抜粋転載】

式内社という説もありますが、確定に至るものは無いようです。
古くは龍腹山に鎮座していましたが、明応文亀頃の掛川城築城により龍尾山に遷座されたとのこと。
徳川家康が掛川城に籠もる今川氏真を攻めた際、この龍尾山に本陣を敷きました。半年の攻防の後に氏真は開城退去、家康は石川家成を城主としました。
豊臣秀吉の時代になると徳川家は関東へ転封され、掛川城には山内一豊が入ります。関が原の戦いで一豊は城を徳川へ献上し、戦勝後に土佐一国に加増転封されます。その際、当社を土佐へ勧請し、掛川神社として奉斎されました。境内には土佐より奉納された蘇鉄の木や石が現存しています。
江戸時代までは牛頭天王を祀っていましたが、明治の神仏分離により現在の御祭神と社名になったとのこと。拝殿内には「龍尾山」という扁額が掲げられていました。

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街中だとこんな杜に接した本殿も少ないのよね…。

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本殿前、右手に大己貴社。左手には稲荷社があります。

【境内末社】
大己貴神社:大己貴神
稲荷神社:倉稲魂神

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龍尾神社御朱印。実は素戔嗚尊巡拝帳の一社。


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じゃあまたね〜って誰か手を振ってるよ!

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