あらいのじかん〜神社と朱印、ときどき猫と自転車〜

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zoom RSS 加佐登神社(三重県鈴鹿市)

<<   作成日時 : 2009/09/28 02:16   >>

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能褒野神社の近くにもひとつ、日本武尊御陵と伝わる場所がありまして。
でも能褒野神社と同日にお参りしたので、こちらも雨なのですよ。

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境内は神社エリアと古墳エリアに分かれている、気がする。

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神社本殿もちょっとした山の上にありますので、参道も結構登りますよ。

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神社名:加佐登神社
鎮座地:三重県鈴鹿市加佐登町2010
御祭神:日本武尊、外十六神
社格:式内社(倭文神社)
例祭:10月8日
月次祭:毎月8日

式内社倭文神社を合祀
この地域は景行天皇の行在所跡「綺宮々跡」があり、「高宮の里」とも呼ばれていたそうです。神社前の「高宮資料館」の名前はここからでしたか。
なお、式内社とされているのは加佐登神社へ合祀された倭文神社で、加佐登神社は式内社ではないようです。

【由緒】
   御笠殿由來記  (原文ノマヽ)
伊勢国鈴鹿郡荘野駅より十町ばかり北なる高宮村という所に、御笠殿とて、日本武尊の御社あり、こは尊の御笠を蔵めし所と語りつぎ、また其れよりやや放れて、白鳥塚とて同じ尊の御陵あり、この辺おし並て、いにしへ能煩野といひし所にて、かの王の崩御ませる地なる故に御陵あるなり。
延喜の諸陵式に能褒野墓日本武尊在伊勢国鈴鹿郡とあるはこれなり。なを其あたりに奉冠塚奉装塚など云ふもあるは皆かの王の御遺物を納めし所といふは信に然るべし。
抑かの王の御よはひいと若くまして倭童男王と申ししほどに、筑紫国なる熊襲たけると云ひし荒えびす討とり玉ひて、倭建男命と御名におひ坐せる御いさをしは更にも申さず、其後に吾妻の国々なる悪き神また射向ひまつる夷どもをみな征伐け給ひて、大倭のみやこに帰り坐せるに近江国の伊吹山なる荒ふる悪神をも取給はむと、其山に登り給ふ、爰に某神あしき気吹を起せるに、尊その悪気にあたり坐て、御足こひ腫たりしより悩み給ひて、遂にここにて崩御まししかば、即この所に御陵をつくりて、葬め奉れるに、白鳥となりて飛出給へれば、その御陵をひらき見るに、ただ御衣のみ在れる故にこを白鳥の陵とまうすこと、古事記日本書紀、熱田古縁起などに見えて、我師本居爺の故事伝は更なり、余が古史伝にもくはしく考へ註せるが如し。
斯くこの御笠を蔵めし丘はも、いと古く御社たてゝ、彼の王の御霊を祝ひまつりて、御笠殿とも、御笠社とも申し来り、其里にます熊野神祠の神主鈴本氏なむ、往昔より持いつき奉り来ぬるを、御稜威いち速くおはし坐すは、この御笠はも小縁の物にあらねば、殊に御霊のとゞまり坐せる故にや有らむ、然るは古くかくと云ひしは、世の常の笠はさる物にて、軍の時に用ふる兜をもしか言ひしこと、我ふみどもに考へ明せる如くなれば、比御笠と申とせるもかならず王の御軍に出給ふごとに冠たまへる御兜ならむと思はるればなり、
さて此を御笠社とまうすより、人の躰にいづる腫物、また瘡といふ病をなをし給ふと世にいひ伝へて、其なやみ有る徒から、近き辺の国は更なり、
遠き国々よりもまゐで来て、そのよし願まをすに、いと速なる験ありとぞ。
この大神のさる病どもを直し給ふと云うこと、心得がたく思ふも有めれど、是なむ尊き神の御恵みにてかの吉野山に鎮座す、水分神とまをすは、雨を掌たもふ神に坐すを、いつの頃よりか唱へ訛りてみこもり明神と申すにつきて、子なき者いのり申せば、孕らしめ給ふ神ぞと世にいひつぎて祈り申すに、必ず其験ある如く、笠をはれ物のことに云ひなして、人の真心に祈り白すによりて、その御使い神などの、大神の幸御霊の御稜威をし賜はりて癒し給ふことゝ思はる。最も奇霊なる御わざなりかし。まして御足を損ひ給ひし御古事のあれは更なり斯ていにし文政六年八月のころ、己みやこに上れる時しも、その御陵にまいり、御笠社にもまゐでて拝み奉れるに、その辺りの老人どもの言に、他病にても、腫ものの又は瘡など名けて、禰ぎ言する人おほかるに、悉くその験ありといふに、畏けれど己があり経るやまひをし腫物ならねど其病ひに准へて願まをし、此病ども癒なむ後は、人づてにても賽し奉らむと、ねもごろに祈り申して帰れるに其病どもみな癒えたればいかで人伝にても奉賽し奉らむと常に心にかゝる物から、よき伝なくて過しぬるを、今年その社に仕へまつる鈴本信房ぬしなも大江戸に来て、わが教へ子にさへなりて、此御社の由よし書てと請はるゝに、己としごろ信じ奉れる由緒もあれば、かへり白しの御初穂そなへ、なを行末の事の祈りをも頼み、打いさみつゝ筆とりて、誰もよく読みよく、聞ゆべく、有のまにまに御由来をかく書しるせるは時は、文政十二年といふ年の九月      平田篤胤
【加佐登神社由來記より転載】

漢字が一部旧字体じゃなかったり、「まにまに」が繰り返しではないこと以外は原文のままです。送り仮名が無いと読めないかもしれませんね。
延喜式神社の調査さんのところだと少し読みやすいかもしれません。誤字ありますけど。
内容は日本武尊のこと、吉野水分神社が転訛して御子守明神となったこと、御利益などが主です。

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重軽石発見。

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加佐登神社御朱印。

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さて、この神社へ来たからには日本武尊御陵も行かねば。
ここも登るんですけどね。

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白鳥塚古墳着。

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こちらの古墳の防備はこんな感じ。宮内庁認定の御陵は玉垣でがっちり囲われるのに対し、こちらは神社の一部という扱いのためそれほど厳重に囲われていません。
こちらの古墳はこの地方の豪族の墓と考えられており、県史跡には指定されています。

これであと行っていない日本武尊関連は、大阪の白鳥御陵だけかな。
たぶん。ほかにありそうな気もするし。

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