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zoom RSS 木本神社(三重県熊野市)

<<   作成日時 : 2011/10/06 00:05   >>

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熊野市街の熊野古道沿いに鎮座する、木本神社です。
神社はそれほど大きくありません。

神社名:木本神社
鎮座地:三重県熊野市木本町95
御祭神:天照皇大神、天児屋根命、天布刀玉命、事代主命
神紋:左三つ巴
例祭:10月

画像の右側、車の前にある石碑は、吉田庄太夫を祀る吉田大明神石祠です。

安政二年、木本方面の紀州藩領二十七ヶ村と有田方面の新宮藩領五ヶ村の知行替えが発表されると、税が重くなることを恐れた木本側による領地替え反対騒動が発生(安政の村替騒動)。
一揆を防ぐため江戸詰御勘定奉行の吉田庄太夫が来て説得にあたるが、木本側は納得しない。ついに吉田は知行替えを行わないとの誓詞を独断で書き中止させるが、その責任を取り自刃したそうです。

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境内には神輿倉庫。木本祭りに使われるものでしょうか。


御朱印をお願いしようとしましたが授与所は留守なのでとなりのお宅を伺うと、家の裏手から宮司さん登場。

「下水管が壊れて直してる最中で」

というわけで、あるけど今は書けないということでした。
下水管が壊れて頂けなかったのは初めてです。



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場所は変わってこちらは境外末社稲倉稲荷神社。

稲倉稲荷神社
 寛文年間(約三四〇年前)新出町の奥川本家が京都の伏見より勧請したものです。屋根神として同家邸内に祀られ、その後現在地に移されました。
 明治四十一年神社合祀令で木本神社に合祀され末社となる。毎年十月の木本祭りには、木本神社の神輿や・だんじり(新出町)・六方行列(親地町)・よいや(栄町)・こども神輿(井筒町)・元宮太鼓(新田)が町を練った後、新出町稲倉稲荷神社旅所へ渡御し帰ります。
その他稲荷神社の行事として、毎年一月一日の初詣・二月初午の日に厄年の人のお祓いと餅まき・七月二十日に稲荷さんの夏祭りで多彩な行事が催され、夏の夕涼みを兼ねて大いに賑わいます。
【稲倉稲荷神社境内由緒より転載】


木本祭りには色々なものが練り歩くようですね。よいやは想像がつかない。

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この一見手水鉢のようなものは、熊野市指定文化財の宝暦の水槽石。

熊野市指定文化財
   有形民俗文化財 宝暦の水槽石
 当、新出町稲荷神社手洗水船として使用されていた水槽石は、もとは今の片岡書店前に据えていたもの。
 制作 宝暦九年(一七五九)己卯(つちのと う)九月
 石工 十太郎・平助
   解説
 木本の昔は、水の甚だ乏しいところで旱ばつの際は一荷いくらというふうに、飲み水を販売したという。
 正徳二年(一七一二)木本浦に浜地太右衛門という人がいて永年の水不足にたえかねて、谷郷(切立)の水源地から町内四カ所(低地)に水を引くための工事を起した。
 水管(長い松の木を縦に割り、中をくりぬいて合わせたもの)を筧として土中に埋めて水を引き、木本住民の日々の飲料水としたのは、画期的なことだった。水槽石は曽根石(詳しくは曽根浦梶賀石)で、当時四カ所に配置された水槽石は、四個とも現存している。
 けだしくも、砂礫層に覆われていて、水に恵まれなかった木本浦の昔の人々の生活の苦労を偲ぶ貴重な民俗資料である。
  他の三個は次の通り
一、木本神社手洗水舟、もと松島石材店の位置にあったもので、宝暦七年作
二、天理教南紀大教会手洗水舟、もと代官所前、今の瀬川米店の位置にあったもので、宝暦九年作
三、天神社手洗水舟、もと西郷のの赤倉八百屋の隣の位置にあったもので、寛政十一年作
       指定 昭和四十年八月二十六日
         熊野市教育委員会
【稲倉稲荷神社境内説明板より転載】


地面が土なのがあたりまえで育ったけれど、砂礫層は大変なんですね。

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